新春放談クロニクル 1985



  




1985年 

新しさ、急げ、進め、という強迫観念
どうして、古いものが悪い、になってしまったのか
昔のものを評価してる人が、古いことしてるわけじゃない

くりかえし語られたのは、年寄のたわ言、亡霊、無形文化財、異形
の物、日本のロックの終わり、
滅亡した民族の生き残り・・・僕らは異端者、というような嘆きが多か
ったです。
ざっと上げてもこのくらいの回数出てきてます。
第1週 1:30 34:00 36:05
第2週 26:40 27:20 28:55  
第3週 5:35 10:50 13:15 16:15
最後33:00には「まだ若いよ」と達郎をたしなめるように自戒を込めて
言ってます。
大瀧さんが「燃え尽き症候群」的な80年代後半を送ることは、今後何
度か検証することになります。

しかし達郎からも、今(1984〜85)の音楽シーンの閉塞感に絶望や無
力感を抱いていたことが告白されました。
達郎自身のシュガーベイブからの10年間を振り返って、日本のロック
の継承者としてのアイデンティティが揺らいでいることを吐露しました。

はっぴいえんどが具現化した「日本語」ロックに強烈な刺激を受けて
音楽の道に入った、大瀧さんの弟子としてのリスペクト。盟友、戦友
と言って憚らない自覚があらためてわかります。

このまま行くと我々の先達に培われたものがどうなるのか
歌謡曲の主流の圧倒的な歴史、歌謡アイドルには予備軍がいる

そして、この当事者の途惑いを系譜学の視点で理論化した物が91年
の「普動説」でしょう。

「(達郎は)ロマンチストだからなあ」も、くりかえし登場します。
これは、一途、無形文化財、けっきょく昔気質、に収斂されました。


さて、大瀧さんの85年の計画で、この時点であったのは、『ビーチタイム
ロング』の構想でしょう。それに『スノータイム』に入る「フィヨルド」などの
『イーチタイム』未発表曲群をどうまとめて出して行くか。「オリジナル新
作」or「ベスト」or「レアリティーズ」という選択で、正攻法は無理だから定
価2000円ぐらいの編集盤なら・・・という段階でした。
歌無し『ソングブック』の価格帯ですから、『スノータイム』のインスト曲を
”みつくろって”出すほうが先に頭にあったのかもしれません。

実際にリリースされた『ビータイムロング』はCD版3200円、カセット版2800
円、『スノータイム』はプロモーション用だけで市販されませんでした。

「2000円ぐらい」ということであれば、シングル盤3枚と発想を替えることも
できます。大瀧さんの新曲を全部買おうとしたら、稲垣潤一、小林旭、「フィ
ヨルド/バチェラー」の3枚でした、が偶然でしょうか。

大瀧さんの84〜85年をおさらいします。

84年
3 『イーチタイム』
4 『イーチタイム・シングル・ヴォックス』
4 『ブラック・ヴォックス』
5 新譜ジャーナル別冊「ゴーゴーナイアガラ」
6 『ソングブック2』
6 NHK FM大滝詠一スペシャル84
7 ニッポン放送「マイケル・ジャクソン出世太閤記」
85年
3 ナイアガラ全シングル廃盤
6 稲垣潤一「バチェラー・ガール」
6 『ビーチ・タイム・ロング』
6 《ALL TOGETHER NOW》
9 『THE HAPPYEND』
11 「フィヨルド/バチェラー」
11 「熱き心に」
12 『スノータイム』
12 フランキー堺とシティースリッカーズ

そうですね。85年にもう1枚1800円のレコードがあったことを想い出し
ました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/THE_HAPPY_END

45回転4曲入り、当時流行りの12インチ・シングルだったんですね。
CBSソニーのカタログとしてはLP扱いの記番ですが。

『ALL TOGETHER NOW』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9D%92%E5%B9%B4%E5%
B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5_ALL_TOGETHER_NOW


後年、細野さんが「ニューミュージックのお葬式」と揶揄した、とあり
ます。
達郎が語った、1984〜85年の音楽シーンの終末感とオーヴァーラップ
してしまいました。

この出演メンバーは80年代前半の日本のロック界の中心人物たち
です。彼らは70年代後半から台頭したニューミュージックの主役でも
あります。しかし、調べてみると80年代後半には活躍していない人が
少なからずいるように、功労者ですが、頂点を降りた人たち、でもある、
と言えます。
「お葬式」ですね。わたしは、最初で最後のニューミュージックの紅白
歌合戦。すなわち「大晦日」だと思いました。
大御所集合、サーヴィス満点、豪華演出で、歌謡曲の主流を乗っ取る
かのようなプログラムです。
しかし同時に、達郎が抱いたアイデンティティーの崩壊が脳裏をよぎる
んですね。

大瀧さんが、『ALL TOGETHER NOW』の、はっぴいえんど再結成につ
いて語ったコメントはこれです。


新春放談は2年目。
継続してはじめてシリーズ化なんです。この回が記念すべき回という
所以です。
ナイアガラのカタログには、vol.1 vol.2というのが3回ありますね。2の
発表予定が未定にもかかわらず
とりあえずvol.1と書くんですよね。2が出て初めてシリーズになるん
ですが、2,3,4・・・の可能性を予期させて、未完である、という理念
を提示しています。


まず、小ネタを順番に

○ディレクター佐藤輝夫

NHK FMのメイキング・オヴ・イエローサブマリン音頭(84)のディレクター
として、リマスター・スペシャル(08)に出演してました。

○ブレークダンス、マイケルジャクソン

新春放談の最晩年は、大瀧さんの話の聞き手になった感のある達郎で
したが、85年は論客然としてますね。
2014年、『ビッグウェイヴ』で未製品化曲「ブレイクダンス」が日の目を見
ました。それと、やっぱり84年はマイケルの年だったんですね。

○「ワットゥシ」

吉田美奈子「わたし」の20分の一か。

○イントロと間奏だけが向こうのポップスみたいでまんなかになると急に
朗々とする

クレージーの「遺憾に存じます」とかアキラの「ショーがないね節」なんか
が思い出されます。「達者でな」もあらためて聴くとエキゾティック・サウンド
ですね。

○僕みたいな貧乏な少年と結婚する将来について考えてみた方がいい
「dawn」
詠:カミさんの口説き文句 達:そこカット

カット、とはマジなやつでしたか。
「ドーン」はウォークマンでよく聴きました。これのエアチェックだったんで
しょうか。

○映画『Once Upon a Time in America』「アマポーラ」今日はやってくんない
の?

84年秋、有楽町マリオンこけら落としの1本だそうです。同時期にわたしは
向かいの東映で「お葬式」を観ました。
「アマポーラ」はmaniacツアーでやりましたね。30年ぶり2回目!

○どうして最近ギターを忘れたのかね かき鳴らして歌う高揚感、恍惚感

84〜85年の状況は『ALL TOGETHER NOW』とか冒頭に書きました。安全
地帯、オメガトライブ、チューブ、ボウイとか、まだギター・バンド時代の印象
は強いですが、小室哲哉、小西康陽らギターを弾くイメージのないミュージ
シャンがデビューしたのは1984年ですね。

○あギターであってギターじゃないべんべ

即ボケられて、必ず「あ、」がつくこと。さらには達郎が追っかけてハモって
くる。THE漫才コンビですよ。
大瀧さんのボケは、当時そんなに面白いと思ったことはなかったけど今回
はスベってません。
「田舎にイナタイ」とか、「声を少し普通にして言いたい」とか、「顔と声が違
ってざまあみろ」とかノッテます。

○家族ゲーム 森田芳光

小津フォロワーだと思います。「秋日和」によく似てる「おいしい結婚」(91)、
大瀧さんはどう評したんでしょうか。

○「Sea of Love」ロバート・プラント 

98年の新春放談で、次は「Sea of Love」が来る、って言ってました。その時
は「Sea of Love」がどういう意味かわからなかったですが、やっと解けまし
た。つまり懐古趣味で大歌謡曲で、全音符のゆったりした(かったるい)歌
を今こそ歌う時。これは98年の回でじっくりレヴューします。

○ドラムをたたいてる時がいちばん楽しそう、って笑われる。達:うれしそう
にやっちゃいけねぇのか

○このオカズ ドラムは達郎しかいない

けっきょくセッションは実現しませんでした。ドラム合戦、maniacツアーでやり
ました。80年代は青純とやってたそうです。

○達:クルーナーだからこういうのどう? 詠:歌い上げるのは不得意、笑っち
ゃう

ジョニー・マティス「Quiet Girl」でした。

○達:はっぴいえんどの時、なんであの声で、誰を真似た? 詠:攻撃的
姿勢、憧れとの一体感
スティーヴン・スティルス、デル・シャノン、春日八郎

春日八郎の名前が出てくる人は、ニューミュージックにはいなかった、と思う
んですよね。歌唱法のお手本に気づいてないですし、あっても表明した人
いないでしょう。

○詠:顔と声が違うと詐欺だ、声を聞くとたぶんいい男だろうなって、いい男
が出す声がいいって誰が決めた 
達:悪うございました、社会が決めることで私たちは関係ございません
詠:昔は清らかないい声がいい顔してたんだろうなたまたま、逆は真ならず
というところだ、ざまあみろ

アルバムが1位獲るようになって、売れる前に言われたことなかった話も
聞こえてくるようになったんでしょうね。

○同業者を4人並べると緊張する スタジオを活性化

日本代表の招集ですね。巨人の内野というか。

○ボブ・ディランは絶対理解できない 分かった気になったか、させられ
たか
分からないところからスタートしている

ソクラテスだったかプラトンだったか、大学1年の「哲学概論」で”無知の
知”というのを習ったと記憶してますが、この大瀧さんの哲学、ものすごく
影響を受けました。「ハレー彗星だって好きで来るわけじゃない」、「仏像
だって最初から汚かったわけじゃない」など。”逆から見るとどうなのか”
”昔はどうだったのか”表裏関係・前後関係を捉えて気づくべし、と。

○昔のザーザーいってる映画を新しもののように観る方法を会得した
自分の心の中をちょっとチェンジして

この精神統一を伝授してほしい。

○「君たちってモータウンなんでしょ」 男性アイドルMC

太川陽介があやしいと思います。

○達:スペクター風に・・・大瀧さんの影響だよ
詠:フランス人が食べてもおいしいとんかつー 
達:そこまでデフォルメされてないけどね日本じゃ

なんだかわかんないけど、このフレーズ、この年でいちばん記憶してまし
た。日本人が造った洋楽?
その市民権は・・・。そのあと達郎の冷静なつぶやきが。これが言えるのが
達郎の性格でもあり、大瀧さんが一目置いたところでしょうね。

○アナログレコードの外周 突進感

この概念もこれ以来刷り込まれてます。

○世を忍ぶ仮の姿 ある時は若い歌手(活動弁士調)

達郎の秀逸なボケも貴重です。

○平均寿命、モラトリアム。今27でデビューしても遅くないもん

まさか、1985年のピチカートファイヴのことでは。


達郎の84〜85年も簡単におさらいします。

84年 長女誕生
4月 まりや『ヴァラエティー』
6月 『ビッグ・ウェイヴ』
9月 近藤真彦「永遠に秘密さ」
12月 〜ツアー30公演
85年
3月 「風の回廊」
11月 「土曜日の恋人」

○やってるミュージシャンがエンジョイしてない
○お金が取れるようになったからか
○人に書きたくない。空しい作業
○なんでこの商売をやってるのかな

たしかにこれ以降の曲提供は少ないですね。85年は『ポケット・ミ
ュージック』の準備を始めます。
今までやってきたR&Rがやりづらくなった。スタジオの人もハード
ウェアも。危機感ですね。


ほかには
二人の方法論の違いがわかるテーマがいくつか出てきます。共通
点も多いですが正反対の点も多いですね。
◇達 □詠

◇ステージバンド出身 4〜5人でアンサンブルを考える
□オケは基本的にやかましいよ 整理できない

◇スタジオ落語 観客の笑ってるか笑ってないかは関係ない
□観衆の声(場の空気か)が入ってるのがいい 

◇出来ないのを無理やりやらせるんじゃなくて、その人がどういう
具合にやったらうまくいくか
5人よりも4人よりも3人でやったほうが楽でしょ
□どうせ今日で最後だっていう日が来るんだから、今日これで
(完成させるまでやって)終わってもいいじゃん
僕のような考えがみんなに迷惑がられてる


最後にこんな面に気がつきました。二人とも禁煙のイメージでし
たが。
何度かライターの音が聞こえます。だいたい大瀧さんの話とかぶって
るので、達郎が吸ってると思います。


この回で少ない未来の話。
○シュガーベイブCD化 20年たつと僕がどうなってるかわらない

CD化は86年になりました。
95年は取締役就任です。ナイアガラ青レーベル時代。

○どうせ生きたってたかだか50年か70年ですよ、自分の歴史が。
50〜70の数字を憶えるのがそんなに苦痛ですか

70まで生きなかった、か。2000年以降、少し記憶力なくなってました
けど。

○達:(大瀧さんは)自分の潜在意識でそうだなと思ってることを人に
託すという悪いくせがある

これは継続審議ということで。

○無記名性というかさ
詠:べつに僕でなくてもいいじゃん
達:ゴーゴーナイアガラの設立趣旨に反するじゃありませんか
詠:ゴーゴーナイアガラは78年で終わってんだ。あの頃の僕はもう死
んだと思ってください。

今回ここが、双方の真意が分からなかった部分です。
ゴーゴーナイアガラの設立趣旨
ゴーゴーナイアガラは78年で終わった
84年の新春放談で、「必ずや復活する」と言ったそのくちで・・・
全172回を聞くことで分かってくると思いたいです。

詠:亡霊だから死なないよ

これはうれしいセリフですね。







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