新春放談クロニクル 1984


  




1984

まずは、ヤッパリーネェ 初回から行きます。31年前、大瀧さん35歳、達郎30歳。
ほんとうにこの回は内容が濃いです。
”世田谷のride on mariya”とか”20分の一の神話”とか30年たっても記憶に残って
る言葉がありました。


この回の前年に起きた事をざっとまとめます。

82年12月『アーリー大滝詠一』発売
83年7月『イーチタイム』発売延期
83年夏 ラッツ&スターのプロデュース
83年11月「分母分子論」発表
達郎は9月に「スプリンクラー/Please let me wonder」を出してます。
そして
『イーチタイム』発売が本当の本当の決定。大瀧さん、年男36歳ウソつかない。
84年の告知として
多羅尾1,2、『夢で逢えたら』、『デビュー』『レッツ・オンド・アゲン』をセットで再発
『ブラックボックス』4.1に発売

ゴーゴーナイアガラ(ラジオ)が復活するかもしれない・・・

パート1から行きますと、メインテーマは『イーチタイム』の件ですね。
オリジナルのニュー・アルバムを告知したのはこれっきりだったという。その後20数
年、出さない件をあーだこーだ言い合うんですからね。

それから、元ネタの自白、「Please let me wonder」が「カナリア諸島ね」「そうかぁ」
のくだり。

「Venus in bluejeans」も、これをきっかけに探しましたね。
「20分の一の神話」を解説すると、1曲には元ネタが20個以上隠されてる、という話
で、「20分の一の神話」自体は明菜のヒット曲「
½の神話」が元ネタです。明菜のカ
ムバックがトピックになるのも当時は想像できないことです。



パート2は、重要発言が多いです。大瀧さんの人生の予言として、じつに示唆に富
んでます。


達;
『ファースト』を聴いたのが日本のロックで初めての一枚 。19か18で、大滝詠一が
はっぴいえんどって知らなくて ・・・

借りてきて家で針を落とした最初のレコード 。
その8か月後に大瀧さんに会う。
詠;
「光栄だなぁ」
「面と向かって初めて言ったんじゃない、初めて聞いたよ」

73年8月に大瀧宅を初訪問した時に、達郎は「はっぴいえんどを聴いたことない」と
言ったエピソードは、すごくツッパッた若造の印象を持っていました。じつは、はっ

ぴいは聴いてないのは嘘じゃなかったけど、たぶん大瀧ソロは聴き込んでたんで
すね。
maniacツアーで「おもい」をやって意外に思いましたが、このアカペラで始まる『ファ
ースト』の革新性に心酔してたこともこの回の言葉で聞き取れます。

あと、大瀧さんもレコーディング参加以前に岡林信康を聴いてなかった、とのこと
で、達郎がはっぴいえんどを聴いてないのも無理ないだろう、と考えたかもしれま

せんね。
重要なのは、「自宅のプレイヤーにかけた最初の日本のロック」という告白を面と
向かって初めてしたことでしょう。
それが1984年から遡って10年間の二人の関係の変化した部分と、不変の部分。
達郎が大瀧さんに対して持ち続けた敬意や憧憬が見えます。

ゴーゴーナイアガラが復活について、詠;
歌手の道と音楽家の道は捨ててもDJの道は捨てないから。足腰立たなくなっても
DJを俺は・・・


「分母分子論」について、詠;
そのうちに足腰立たなくなって口も動かなくなった時にはあれをまとめてライフワー
クにしようと


当時は軽口と思って、聞き流してました。口も動かなくなったら、まで言ってたと
は・・・その通りになったし、そうなることを念じて、やりつづけた晩年だったと思い

ます。計画通りではなく偶然性の多い経歴だと振り返ることもありましたが、アーテ
ィスト大滝詠一の展望は84年に大勢が決まってたんだと思います。


詠;
世界史を一つのね地図に例えてさ、人間とか音楽とかこう置くとね、音楽が動いて
くのがわかるでしょ。
あの地域といっしょに動くってのが分かるけども、歴史をまたあの時間も含めて
いちおう平面上とその時間ていう概念を三次元に置いてさ、見ていくとその移り
変わりっていうのがね、じつに見えるんですよ。
これはコンピュータグラフィックを使ってね、これやろうかな。フロッピー・ディスクで
売り出そうかな。


「アメリカンポップス伝」の構成ですね。わたしも年表にまとめたことがあるんです
が、3次元に立体化しないと総論が再現できないんですよね。

「大瀧詠一的07」で少し触れた”グーグル・アースの俯瞰”で再現できるのでしょう
か。

フロッピー・ディスクっていうのが面白いですね。最終的に「売り出そうかな」は、考
え直してたと思いますが、「CGで」は実行してると睨んでます。


船で文化が渡って行くように、国境を越えて音楽が継承されて来た、民族も言語も
超越して。

そして、分母の分母のまた分母・・・無限に系譜を遡る視点が、すでにここにありま
す。


Bessie banks 「Go Now」のくだり
「If You Gotta Make A Fool Of Somebody」~「Go Now」~「The Last Waltz」~
「くれないホテル」
我田引水になりますが、「くれないホテル」の次に「アパートの鍵」(小西・高浪)が、
この放送の3年後に出ます。



あとは、小ネタを列記します。

○達郎のノー・クレジット

81年のソニーのライナーは『CDブックⅠ』(2011)に入ってますが、たしかにクレジッ
ト無しです。『78』盤のライナーには有ります。

クレジットし忘れて、以降アレンジをやってもらえなくなった・・・をテンドンしてます
ね。


○出前一丁

80年から関西でやってたという話、わたしは富山でその時代に聞いてたと思いま
す。全国で流れたのは3年後なんでしょうか。途中から ♪大滝詠一 の

テロップが付いた記憶があります。

○サイダーの前のエアコンのCM

これは初耳です。霧ヶ峰かしろくまくんでしょうか。

○『ブラックボックス』4.1に発売

『NIAGARA BLACK VOX』これを聞いて予約したんですね。『デビュー』はここから
2011年までCD化されなかった。


○世田谷のride on mariya

ペンネームです。毒舌の方ですが・・・ご健在でしょうか。

○『アーリー大滝詠一』

発売はこのタイミングだったんですね。『ファースト』は高校時代の貸レコ屋にはな
かったと思いますので、友人から借りたのは

83年の秋頃です。『アーリー』を買ったの職場だったツタヤのレンタル落ちとして90
年代でした。


○「分母分子論」は20分の一の内容

発表されたのは雑誌でしたが、相倉久人を相手の対談形式だったので、自分のノ
ートを見ながら語ったのがオリジナルの形です。

そのノートをもとに「普動説」と日本~アメリカのポップス伝の完成。ブリティッシュ
ポップス伝の素材でもあるんでしょうか。


○アーサー・アレキサンダー「Where have you been」

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1935784688&owner_id=2056687
このくだりは12月に書きました。84年当時は、これのサビは知りませんでした。

○真の追悼とは

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1933227668&owner_id=2056687&org_id=1933401230
これもすでに書きました。

○「ラストダンスはヘイジュード」

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936281264&owner_id=2056687&org_id=1936242873
マキタスポーツの「乾杯」で「いとしのエリー」を歌うネタに影響与えてるような。

○ゴーゴーナイアガラが復活するかもしれない

6月にサウンド・ストリートの枠でやったスペシャルだけでした。

○歳取ったら時事放談の音楽版、「だめだだめだ」って文句ばっかり言うの、俺た
ちはやれるだろうな


二人とも70歳代になったら、やれたのかな。達郎については今日まで同規模の全
国ツアーをやってるとは想像もしなかったでしょう。



しかし、楽しそうですね。近年の放談はこういうノリではないですからね。笑い声も
ウヒャヒャヒャとかゲラゲラとか多くて。
掛け合いが漫才ですよね、もう。

詠;あんたにも怖いものある?
達;ありますよ
詠;あーそう
達;なに言ってんすか
詠;あーそう
達;なにを・・・


パート3をいただきましたので、追記します。

○まだテーマ作ってない 今年から「ジョディー」

大瀧さんに「早く作りなさい」と言われたテーマ「オンリー・ウィズ・ユー」は84.3月頃
録音されて、以降現在も使われてます。

そして、2014年、maniacツアーでもやりました。

○「ドリーミング・デイ」は福生スタジオならニューオーリンズ調で、ということで

放談収録後、直後の『ジョイ』に収録されたライヴ版は84.1.6 大阪フェスのもので
す。ドラムがセカンド・ラインしてます。正直にいうと気づいてませんでした。


○ドリー・パートン

エルヴィスとビートルズを足掛かりにして探求心や積極性がなければ、ポップスの
道は深く進めない、という厳しい時代になった、と。

30年後のアメリカンポップス伝では、エルヴィスを丁寧に再検証し、ビートルズ
登場までの状況を解説することで、ビートルズの背景には何があるのかを解明
してます。知らない世代に伝えようとすると、この2つをやらないといけないと、
結局そうなるんですね。しかし、
今は探求心があればネットでなんでも引けます。ドリー・パートンとJ.デシャノンと
の関係もたぶん分かるでしょう。正直にいうとまだやってません。

○フォーシーズンズの「ハニー・ラヴ」

ラジオ・ゴーゴーナイアガラの#33でかけてます。もちろんジュークボックスに入
ってますね。


○助川ビルボード事件

この話は一番ウケた。助川氏も2001年他界されてます。

○「ドーン」の3連 

「Dawn」の3連ではなく「風立ちぬ」の3連で、「Dawn」のファルセットのメロディーを
自分で歌って入れてます。ダイアン・リネイと同じくボブ・クリューですね。


○オーティス・ブラックウェル 
03年「俺はR&Bの作家だったのか」というところでも登場したはず・・・
この新春放談再検証の目的として、27年全体を用語索引で参照できるようにした
いと考えてます。


○分母分子論の後半

日本ポップス伝の1も2も最後の曲は自分の曲でしたので、同じ論旨だったので
は、と推測します。


○セカンドライン・ドラム 自信作で楽しみなんだ

ドラッグレースですね。この収録の後、1.11に2ndヴァージョンの「ナックル」を録っ
てるんですね。それと1.8の渋谷陽一の番組でかけた未発表曲を未発表にする
ことを決定してます。

○NHKは寛容

全国放送で、はじめて声を聞いた人も多い
NHKの特番はこれ以降なのか、と一瞬思いましたが、82年に「笛吹銅次ショー」を
やってます。


○テレビは出たくない

83.3.24いいとも出演拒否事件がありました。生で見ました。

○映画を落ち着いて観たい

「幕末太陽傳」を買った話でしたが、1本5万の時代だったようです。買ったビデオ
が五万円↓
https://web.archive.org/web/20021009005640/http://www.fussa45.com/cinema/
eiga.html#lineup


多忙になり、顔が売れて、さらに劇場に行けなくなったんでしょうね。この年代から
日本映画研究が始まったんですね。








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