新春放談クロニクル 2004



  




2004年

1週目


♪恋するふたり
達:今年で新春放談20年
84年のまさにイーチタイムの直前だった
詠:この20年アルバムは出てないですよ
音楽活動をやめたわけじゃないですからね
シングル2枚出しました
何もやってないわけじゃないですよ
達:僕の顔見て言ったって
詠:またね言われるとあれだから
達:僕はなんにも言いませんよ、最近
この20年間、活動はこれだけなんです
新春放談のおかげでキープできたんじゃないでしょうか
生存をですよ
達:この新春放談の名前も84年だったらまだ
小汀利得と細川隆元ってまだ
詠:詠:いや。あの頃でも超レトロ
今はわかんないどころの話じゃないよ
達: 佐野君の所でやったり、萩原健太の所で
やったり20年間で19回、1回抜けたという説がある
詠:やんなかった?
まあでも20年目だから20周年という事にしましょうよ

詠:来年がSONGSとナイアガラムーンの30周年
30年だよ、自慢じゃないけど
それを考えててね
達:すごいですね
詠:考えました
達:考えますよね
詠: さすがに考えたね
猫なら化けると言うけど
詠:福生スタジオが去年で30周年だったんですよ
福生スタジオは自分にとっていったい何であったのか
まるまる1年間ずっと考えた
ふとしたことで分かった事がある
坂本龍一君に呼ばれて、ロックについて話を聞きたいと
詠:ジャッキーブレンストン ロケット88をかけたんですよ
持ってないと思ったらアナログで持ってた
当時も聴いてたのかよく分かんなかったけれども
Lucilleとかリフのおお元だというのを
聴いてみましたよ
レコーディングしたのがサムフィリップスだった
それがもちろんエルヴィスより前
福生スタジオはどう考えてもサンスタジオ
ひょっとして僕はサムフィリップスをしようとしていたのか
という事に初めて気がついた
ジャッキーブレンストンは埋もれたわけですよ
埋もれ方がごまのはえによく似ててね
その後にハウリングウルフが出て来る
あれが布谷文夫だったと思うのさ
ルーファストーマスの最初の曲はHound Dogの
アンサーソングでBear Cat
もちろんエルヴィスがカヴァーする2年ぐらい前
ジャッキーブレンストンがいて
ハウリングウルフがいた所に
そこにエルヴィスがやって来たのよ
ナイアガラに
この人、はナイアガラレーベルをサンスタジオに見立てると
エルヴィスだったんです
達:時期的にね
詠:エルヴィスがだいたいアルバム1枚分なる物を録音して
レーベルを移籍する
どこ行ったか知ってる
達: RCA
詠:君どこ行ったの
達: RCA
詠:ほれ見ろ
俺はサムフィリップス
俺をサムフィリップスと見立てると君はエルヴィスなのよ
エルヴィスの音源を売った事で
ああーサムフィリップスは経営を考えたんだな
我が身を振り返るとまさに経営をいっさい考えてなかった
と、しみじみ思ったね
達:モータウンのベリーゴーディーがrightsを考えた時代
とぜんぜん違いますからね
この頃のアメリカの経営者は必ず大きくして売る
ホワイトピープルの典型
明日の一億よりも今日の百万
ルーアドラーもハープアルバートもおいしい時に売る
じゃないですか
それがいま全部ユニバーサルに集合した

詠:今まで言わなかったことがあって
最初に買ったのは心の届かぬラブレターの話
あれは嘘じゃないんだけど
エルヴィスで最初に聴いたのが
Hound Dog とDon't Be Cruel
だけど買ったって印象がなかった
最近わかったのは
友達から借りた事実を思い出した
62年にHound Dogで産湯を使った
ともし言ったとするじゃない
あまりにもありきたりで
最近よくいるじゃないツクリが
あれと俺を一緒にするなと思うから
口が裂けても言わなかった
62年にリバイバルヒットしてる
ようやく証明された
映画ブルーハワイがものすごく流行って
再発された



達:去年
詠: 一位だけを集めたのが出たんだよな
達:リミックスが入ってる
ハルブレインのドラムのやつ
達:どう思いますか
詠:これはいただけないな
だめだよハルブレインのドラムが

大瀧さんのこの手のリミックス、一つぐらいあっても
いただけないことはないです。
稲垣潤一バチェラーガールの高波慶太郎remixは持ってた
ような気がする。

達: 45スタジオはそもそもどうして
詠:長くなるんだけど短く言うとね
時間に限られずにゆっくり音楽作りをしたい
というのはもちろん誰でも思うことなんだけれども
エルヴィスで産湯を使ったのでそれに至るまでの色々な
事を考えたら
サムフィリップスが出てきて
いろんな小さいスタジオからいろんな人が出てきた
サムフィリップスを演じようと思ったのは
サンスタジオを作ればエルヴィスが作れると思った

達:人に会うとその人はいったいどういう人生を辿ってきた
のか
何が好きで何が嫌いで例えばトラウマとか
会って4、5年の人にはそう思うけど
二十歳から知ってる人ってそんなような事をあまり思わない
そうすると大瀧さんは一体…
今日の新春放談でしようかなと実は思って来たんですよ
詠:やっぱり、考えてるなと思ったよ
達:そう思ってフったんだとか言うんですよ
45スタジオはどうして作ったのとか、なんで木で作った
のか
今まで一度も聞いたことないし
詠:実は話してないんだよ誰にも
自分も振り返ったことがないんだよ
達:壁の木はラワン?
初めて行った時は職人さんがカンナの台が
詠:ドラム乗っける
達:ああいうのはどこから参考にしたんですか
詠:あんなスタジオ無いでしょ世の中に
なんとなく良い音するかなあと
達:オーディオ自体は
詠: 1962年にテープレコーダーを買ったのと
1960年にステレオを作ってもらった
ラジオクラブの先生
1972年の7月28日に結婚した
その翌日が仕事で公録
晴海でフェアみたいな事をやってて
外盤の1枚10円が山のように売ってて 



川島雄三「しとやかな獣」の伊藤雄之助が双眼鏡で見る
晴海風景

一番右手のドームが国際見本市会場だと思われます。
このロケの10年後、外盤1枚10円事件が起こります。

詠:それが自分にとって1番の
それを整理するためにレコードリサーチを買って
本格的なコレクションの始まり
達:それまではレコードコレクターとかそう言う意識は
詠:そこそこ人よりは多かったと思うけど
達:高かったから大変でしょ
詠:高校生まではよく買ってた、全部新譜
テレコがデカいのよ
聴いて歌詞を取って歌えるようになったら消す
達:エアチェック
詠:やってましたよ、FEN
ラジオクラブの先生がマニアだった、60年が一番のポイント
この辺をまとめて生い立ちのあれをwebで今年から始める
途中でやめると思うけど
続かないんだよ

アミーゴガレージ ポップス年代館

詠:初めはいいんだけどね、すぐ飽きるんだよな
達:だいたい大瀧さんは5年周期と言われてる
わーっと5年やって、わーっと5年やって
だけどそれ資産になってるから良いじゃない
詠:資産ねえ、税務署に出す方の資産にならないのが
残念だね、言いたくないが
達:あの…苔はどうしたんだというハガキが来ましたけど
詠:ああ、あるよ
自然に生えてるよ苔なんて
あんなものは
達:一昨年とずいぶん違うじゃないですか
詠:あのね
おれ最近思ってるんだけどさ
トリビアとか蘊蓄ブームとか
たぶん私という人間はああいうトリビアとか蘊蓄のタイプの人だ
とみんな思っているのではないかと思うんだけれども
いちばん遠い人間だなっていうのがよく分かる
達:そうですかね
詠:キミ同意しないの?困ったな
俺が言ってるのは物事と物事の関連性
大事なのは関連性なのよ
達:因果関係ね
詠:あるいは「今年は苔だ」って言った時の僕の心持ち
が大事であって
苔そのものには何の意味もない
達:苔のうしろにある背景
今そんなにシャレが通じない世の中なんですよ
詠:関連性はシャレじゃないでしょう
達:例えばそのギャグと駄洒落はある程度共通認識があって
それがシャレになったりする
シャレが通じないと野暮だというけれど
詠:あれは何年にこうなってというような事に興味はないのよ
それが何と関連してるのかという事について知りたい
達:蘊蓄ものもそういう物であるべきだと始まったんだけど
だんだん本末転倒に
詠:番組としてはあれでしょうがないと思うけれども



達:最初に戻ります
何であのスタジオは木で作ろうと思ったんですか
詠:木の音、ウッディーな
達:それまで木のスタジオで録音したことないじゃないですか
詠:無い
なんとなくそうなるんじゃないかなあと思って
達:それほど深いアレじゃないんですね
詠:なに言ってんのあなた
深い訳ないでしょう、わたしが、昔っから
達:なに言ってんですか、凝り性じゃないですか
ミックスダウンするっつったってマスターテープ
それこそDSDからアナログの38、76
何でもかんでも
詠:あるもの全部やりますよ
あるもの全部やるだけだから凝り性でも何でもないでしょう
達:それだけの機材どんと置いてやるだけだって
手間かかるでしょう
詠:手間はかかります
手間かけてみたんですよ
ウッディーな感じ、どうな風になるのかなっと
達:それが後のPower stationのノウハウじゃないですか
詠:あーそう
達:言ってみればライヴ、80年代のアンビエンス物
詠:あ、そう、鉄筋建てるお金がなかったんじゃないかと思うよ
それは本当ですよ、お金は無かった
自慢じゃないけど
達:あの当時は防音だけだって大ごとでしたからね
詠:まあ大変だったよー
あの辺にひと住んでなかったのよ
だんだんだんだん人が住んできて音が出せなくなってきて
達:福生に移った時から
詠:スタジオを作るために行ったんですよ
隣がたまたま空いてたから
たまたまと意志力と両方並行に進んでた
達:大瀧さんはそれを一般開放と言わないまでも
レーベルという形で他の人を入れて
そこでレコーディングしようと
詠:サムフィリップスですよ
達:だけど例えば演歌歌手の人が地下に大きなスタジオ
持ってて人には貸さない
詠:その人はほらパーソナルなもんだから
プロデューサーじゃないから
サムフィリップスのようなプロデューサーを目指したんですよ
で、エルヴィスに去られ、カールパーキンスは居なくなり
ジェリーリールイスは居なくなる
いちおう銀次をカールパーキンスにしたから
ジェリーリールイスをシャネルズにしたからね
とりあえず、どーよ
よく似てるなと思ったよ
途中でサンスタジオはもうダメだって
ミークスビルに行って
ジョーミークをちょっと、多羅尾の1
考えてんだよ、その時々に
それで、カレンダー
前にも言ったけど
ムーンを作った時にカレンダーを思いついたんだから
単純にアーティストだったらあの2枚で70年代おわってんの
達:ところが
詠: 12枚作らなきゃいけなくなったので
達:もし、ムーンとカレンダーだけで済んでたら
ロンバケは無かったのかな
詠:無かったんじゃないかな
達:まだやりたい事ちょっとあるって感じで
詠:あれで終わってたんじゃないかと思いますよ

達:実は僕ここ一年ぐらい
この間の船頭小唄じゃないんですけど
サザンソウルに強烈にのめり込み始めて
詠:最近つうじてんじゃないの
達:実は自分のルーツってね
ふっと思ったのは
いちばーん高校の時に聴いたのは
アレサフランクリンのLady Soul
なんですよね
詠:マッスルショールズ
達:マッスルショールズなんですよ、結局
自分でギター弾いてると
誰に自分のギター一番似てるのか
突きつめて行くとレジーヤングなんですよ
そうするとエルヴィスinメンフィスじゃないですか
詠:ビルブラックのバンドにいたんですよ
エルヴィスのベーシストですよ、ビルブラックは
達:今日はそういう話になるとは夢にも思わなくて
大瀧さんにサザンソウルの話を聞こうかなと思って
詠:もう言っちゃってんじゃん
達:いや、妙な、、、年まわりですかね
詠:ここ何年か坂本君に呼ばれたりとか
たまに細野さんところ行って話したり
みんな似たようなこと考えてますよ
坂本君は昔の音が良いのはどういう訳だとか
達:先祖がえりっていうか
詠:ルーツの方に行くとそういうようなことはあるし
ナッシュヴィルとメンフィスとの関係性の距離感
マッスルショールズとの距離はみんな近いわけです
だから、あ、そうか
メンフィスが福生でマッスルショールズは狭山だったのか
と思ったりもしたんですけど
マッスルショールズの1期の人は最初にナッシュヴィル行って
エルヴィスのバックやってるからね
そういうこともあるし、だから
坂本君も1年間いたわけですから
有名なミュージシャンはそこから飛び出して行く
って考えてみると
まさにサムフィリップスを自分はあの時代演じていたんでは
ないか、とだんだんしてきたんですよ

達:結局ほんとに一握りのミュージシャンでやってるんですね
ドラマーだって10人もいない
ナッシュヴィルなんかもっとすごい
ハービーマンのMemphis Undergroundって
詠:アメリカンサウンド
Suspicious Mindsと同じ
達:高校の時はなんにも考えないで聴いてたけど
詠:そうそう、好きな物を並べてみるとバックがみんな同じ
だったというパターンは
何もダンヒルに限んない
達:刷り込みの怖さっていうかだんだん強烈に感じるように
詠:僕ね、そのスタジオでどの曲が録音されたかっていう
リストをつくった
達:それ重要ですね
詠:超重要
それとどっちが最初かっていう
また例によって、誰と誰が同い年ってやつ
中山晋平とアービンバーリンが1歳違い
三波春夫とハンクウィリアムス
船村徹さんとカールパーキンス
遠藤実さんとリトルリチャード
達:昨日そういうので小津安二郎と誰か
詠:今おれのパソコンに入ってる
達:あ棟方志功と小津安二郎
小津安二郎生誕100年
詠:そうかも知んない
達:大瀧詠一さんと西郷輝彦さん
詠:関係ないだろ
達:細野さんとジュリー
詠:いろいろやって面白かったなあ
30年ぶりにロック研究
達:きっかけは何なんですか
詠:今年のドラマ
ドラマをやった時にそろそろ僕を知らないスタッフがいるのよ
まあそうでしょ
そういう人に自分の33年間をどう説明したらいいかと
思って1枚のCDにしようと
振り返ったの
何でこんな曲作ったんだっけ、忘れてさ
達:すぐ脇道にそれるからな

詠:いろいろやってたらだんだん行ってサムフィリップスに
エルヴィスの流れでR&Rが起きて
58年に徴兵されて、59年にバディーホリーが死んで
一回ダメになって
60年代セダカ、アンカが出てきて
スキヤキ日本語、ドミニク仏語、ボラーレ伊語
テルスター英国、世界の各国のポップス
あれはねケネディismだったような気がするね
達:パックスアメリカーナ
詠:ケネディが63年の11月に亡くなって
ある種のドリームが終わった
64年1月にビートルズが出て来た
達:あれは付合してますよね

大瀧さんとサムフィリップス
達郎さんとエルヴィス
共通点と類似点
シンメトリックな左右関係
時間軸で同期する事象と
前後する事象と因果関係

スキヤキの空前絶後のトップ1は
パックスアメリカーナを背景にした世界的異変
根底に潜む本質
脈々たる地下水脈
地表に現れる分母


詠:そこからブリティッシュが延々と
イギリス人がエルヴィスが出てくる前の
R&Bなり、フォークなりロックなりを思い出させてくれて
それに影響されたGSがその後、バーズやバッファロー
とかの流れでずっと来ると
はっぴいえんどまで来るんですよ
うん、整理ついた
これでもう思い残す事ない、引退してもいい
引退してるようなもんだけど
達:毎年言ってますよ
詠:言ってる
♪ペパーミントブルー

達:今年はイーチタイムあれしたらどうするんですか
詠:何もないです
達:それしかやらない、後はなんにもしない
それだけだと言っといて
なんかするとすごくありがたい感じがするけど
僕みたいにほら、すぐ口から今年はなに出したいと言って
出ないと嘘つきと
詠:俺もそういう時代があったんだ
あれはどうしたのか、ずっと言われてた
達:懲りたんですね、2001年ナイアガラの旅
詠:この20年間はほんとにあれでしたね
自由に引退できて自由に復帰できる
そういうポジションを勝ち得たんですよ
努力によって
達:みんなそれにジェラシーを持ってるんですよ
大瀧詠一わ゛ぁぁつって
詠:ジェラシー?
簡単なことだよ
もし俺のようになりたいのなら
何かが出た時は復活なんだよ
なにも出てない時は休業なんだよ
それを行動によって示してるだけ
達:いま一年ぶりのアルバムって言われますからね
ぶりって言われないためにはどのぐらいのローテーションで
出せばいいのか
詠:朝起きて女房に「やあ昨日ぶりだね」って言うのかよ
せいぜい一週間のご無沙汰でしたぐらいにしてもらわないと
困りますね

09、10年にも「奥さんが」という発言があります。
倒れられた時も奥さんと一緒だったようです。
今年同い年のわたしは会話に「うちの嫁が」は皆無ですね。



2週目

明日はハッピーマンデー、成人の日
皆さまが生まれたのは1984年
新春放談、84年から始まりまして二十年
成人になってもまだ続いている
皆さんのお孫さんが生まれてもまだ続いているか
それは分かりません

達:あまり何も考えてなかったんでしょ
詠:なあに考えてたんだろうな
それなりに考えてたの
まだ20とか21だから、なり、だよ
達:じゃ小学生の時に将来なにになりたいか
詠:あなた何、プラモデルの
達:いや僕は天文学者というか
詠:それいつ
達:小学校6年の卒業文集
詠:僕はね新聞記者
小学校5年に書いてる
事件記者っていうのがテレビでやってた
達:素直ですね、大瀧さんのアレとは思えない
詠:けっきょく漫画と野球と相撲
これが自分を占めてたのでポップスに入るのが遅かった
達:ベビーブーマーのやっぱり典型ですね
詠:本格的にポップスに入ったのが62年
達:Hound Dog
詠:そうそう、62年のHound Dogだよ
借りたんだからさ、友達から
達:やっぱりガビーーンと来たんでしょうね
詠:来たね
それでテープレコーダーを買ってもらって
それにいろんなポップスを録音した
そっからですね
63年からは買ってんの
達:歌まねとフリまねは相当やったんでしょ、エルヴィスの
詠:映画観に行ってね、帰りにやったけど
達:なかなか人に見せないけど
詠:ええと500マイル
はっぴいえんど始める前に
ブルースクリエーションの前身のバンドで
僕が飛び入りして
彼らが弾ける歌が500マイルしかなかった
フォークソングで
エルヴィススタイルにR&Rにして
松本君は僕の印象はあれしかないと言ってた
達:松本さんはエルヴィスみたいな物に接点なかったの
詠:あの人は無いんじゃない
プロコルハルムとスプートニクスとデーヴクラークファイヴ
達:一つ違うだけでそんなに違う
詠:いや大きいよ。細野さんとも違うもん
一歳ちがうと大きい、うん
達:うちの奥さん、兄、姉の影響だって言ってたけど
僕なんかより全然、特に邦楽もの
奥さんの今回の知識、僕ぜんぜん分からないもの
こっちが急に若くなったような気がして
詠:見事だったね
だからね、悲しき片想いで始めるってのが良いのよ
あれだけでもう
あれが歴史なのよ、日本の場合
あれを言う人が少ないのは
リアルタイムの体験の人がいないだけの事
リアルタイムの人は、あの曲が1曲目なの、絶対に
それだけでも大したもんだ
達:なるほどそうですか
本人になり代わりまして
詠:日本語と英語を半分はんぶんにするという
江利チエミの逆パターン
日本ポップスの歴史としてはあれが一番
証明なのよ
僕がもしああいう物をプロデュースするとしたらあれが1曲目
ただ洋邦の曲をああいうふうにするっていうアイディアは
浮かばなかったな
あれは大したもんだと思った
達:あの人あれをやりたかったんだって昔から言ってました



達:実はね、僕自身はどうだろうか、考えたんです
FCの会報で、あくまで誌上の企画で
山下達郎版ロングタイムフェイヴァリッツ
映画音楽ですね、100%
最初に登場するのがライフルと愛馬
My Rifle, My Pony And Me
リオブラボー
詠:ディーンマーティン
達:ハイヌーンでアラモなんです
つうことは全部ディミトリーティウムキンなんです
詠:あほんとだ
達:今までそんなこと考えた事もなかった
幼稚園で木琴を敲いて初めて弾いたの曲がライフルと愛馬
ソミドミドラド
それが最初の音楽なんです
ロングタイムフェイヴァリッツ今回やんなきゃ絶対に
詠:あんましティウムキン色、あなたのオリジナルに
これから出てくんのかな
ところどころ無いことは無いって
言おうと思えば言えないこともない
あんまり表だって出てない
達:不思議ですよね、僕自身が意外で
あの人は亡命ロシア人で西部劇やって
わりとオールマイティーな

達:自分で歌いたいと思ったのは
カラオケレコードを手に入れた
ビートルズ?
詠:ジミーハスケル楽団
あのレコード探してるんだけどなあ
メロディー入ってる
達:ようするにインスト物
詠:ジミーハスケルなんだよ、なぜか
当時買ったんだよ
それをバックにして歌ってるテープがまだ残ってる
抱きしめたいとか
これは笑えるよ、けっこう

翌年後日談あり。

達:小っちゃい時からうた歌うのは好きだった
詠:そうみたいね、好きだったみたいね
達:楽器よりも歌だった
詠:ずっとですね
達:ギターはいつから
詠:高校3年
達:その前ドラムやってた
詠:それも高校3年
達:それはなんかの影響なんですか
詠:友達が敲いてみないかって貸してくれて
借りるんだな最初、やっぱり俺は
だから遅いんですよ
達:たしかにそうですね
でもやっぱり聴いてたから歌える
詠:たしかにそれはあると思う
達:特に歌はね、歌は手本ないと絶対できませんもん
詠:これ前にも言ったよね
1964年の春、中学卒業のときに全校生徒の前で
我が心のサンフランシスコを歌った
トニーベネットヴァージョン
The loveliness of Paris
っていうあのVerse付き
あっちのヴァージョンをみんなの前で歌ったのが歌手デビュー
達:伴奏は
詠:ア・カペラッ 山下達郎ッ
達:ホント!
嫌いじゃないんですね
詠:なんかの弾みでやんなきゃいけなくなった
自分でやろうと思ったんじゃなくて
トニーベネットのヴァージョン
ちょっと強調して
Verse付はトニーベネットだけだった
シナトラとかブレンダリーといろいろ流行ってたんだけど
達:そのとき江差?
詠:あん時は釜石
達:中学3年、トニーベネットの知ってたんですか、みんな
詠:歌い終わったら拍手してたよ
有名な曲だったと思う、ヒットしてたから
あの時の同級生は聴いてるはず
全校いたような気がするけどな
それが僕の歌手デビュー。アカペラ
だからねクルーナーだよ、出は
うん



詠:ビートルズで分かったことがあってさ
誰でも分かってる事なんだけれども
ジョンレノンがR&B
リンゴはすごいナッシュヴィルの「ど」カントリーが好き
ジョージはたまたまロカビリーのカールパーキンス
ポールがポップス
これって実にアメリカンポップスの全分野なんだ、ほぼ
彼らはアメリカンポップスの全分野をやれていたから
長く持った、大きいグループになったんじゃないか
エルヴィスも凄いのは全分野
ブルースからカントリーから
カンツォーネから何から全部やった
オールラウンドな人たちだったんだね
達:ストーンズはどうなんでしょう
詠:ブルースに特化したところで長らえた
達:どっちかしかダメなんでしょうかね
この間シカゴブルースのヒストリーの有名なヴィデオ買ってきて
ストーンズがハウリンウルフが出なきゃ
ディーンマーティンショーを
やらないって
詠:ハウリンウルフと一緒の写真あるよね
達:ハウリンウルフをテレビに引っ張り出したのはストーンズ
それをバディーガイが見ながら泣いたって話があって
あいつらのおかげで、ようするに
詠:ハウリンウルフの最初の録音がサンスタジオなんだ
からね
最初はねモーニングミッドナイトって言うんだよ
シャレだよね
アートブレーキーのモーニングってあすこから来てんじゃない
のか
Moanのモーン、唸るわけだよ
何で唸るのかっていうとジミーロジャース
ヨーデルのジミーロジャースのように
自分で、特許、歌の、特色を出したかった
自分はヨーデル出来ないから
あのようなヨーデルのようにモーンする
そう思って聴いてみると
ジミーロジャースぽいのよ、モーンする場所が
聴かせどころだと思って唸ってる
それを最近ハウリンウルフ聴いてさ
達:ハウリンウルフ聴いてんの
詠:聴いてんのよ、もちろん
布谷文夫これで行こうと思った、冷たい女
この路線は当たりだなと思ったけど
分かってくれる人、ほとんどいないからね
ほんと不毛だよ
アメリカ人も分かんない、日本人も分かんない
達:だけど73、4年にハウリンウルフのレコードを
どれだけの人が聴いたか、日本盤ないし
詠:布谷さん聴いてたからね
一応ブルースクリエーションだから
毎日聴いてたよ、あの人
達:やっぱりそういうルーツなんですね
詠:たまたまね
達:偶然でしょ
詠:偶然、ぐうぜん、偶然なんだけど
最近わかった事は
必然っていうのは最初は偶然の仮面を着て登場する
達:それが鉄砲光三郎だったら
今頃どこ行ってるかわかんないわけで

https://ja.wikipedia.org/wiki/鉄砲光三郎

達:日本はそういうearthyって言うか泥臭い物はそんなに
受け入れられにくい状況だけど
特にR&Rでも泥臭い物はなかなか生き残れない
詠: R&R自体がまず
達:ダメなんですね
詠:無い
日本にロックなんて無い
ありえない。フィクションだから
だから僕の福生ストラット、しゃっくりママさん、三文ソングが
フィクションだって言われたけど
基本的に日本語のロックっていう事自体がフィクション
とういう事を作品化することによって体現したのよ
それを誰も分かってくれないから
レッツオンドアゲンで自嘲したのよ
まああの頃も分かってたんだけどな
現実的でない事ぐらいはいくらなんだって
二十も半ばだから判ってたよ
達:今やJロック、Jポップと言ってね
ますますヴァーチャルにするんでしょうね
きっと今の子供たちもそれが存在証明と
我々と同じですよ
それを頭から幻想だ、ヴァーチャルだとか言うのもあれだし
詠:まあ、頑張ってくださいとしか言えないけど
ただね、やってみたいと思う事もあるし
また、やってみて分かるという事もあるんだよ
やってみたから分かったよ
人見清も言ってたじゃない
達:日本の文化構造じたいが1300年ぐらい前からそれの
繰り返しで
詠:アメリカ自体は偶然の産物だからね
あそこで行われた事は
それを歴史の古い日本にそのまま持って来て
そのまま当てはまるわけがないんだよ
達:アメリカはスウィングというあのリズム感覚
アメリカが作った独自の物だったのを捨てちゃったでしょ
なかなか難しい、グローバリゼーションと言いながら
それがこの先どうなって行くのかわからないし
日本もいったいどうなって…
知ったこっちゃないけど

詠:最近サッチモ聴いてたらさ
まあ昔から聴いてたんだけどさ、ボビーダーリンの
Mack the Knife
サッチモのヴァージョンを聴いて、オペラから取ったって
僕は三文ソングをやった、非常に歴史的に由来がある
達:僕それ作った時に聞きましたよ、クルトワイル
詠:それで64年にハロードリーがヒットした時に
あの時ビートルズの大旋風が吹いてた
テンに6曲入るとか、1位が続いてた時に
Hello, Dolly!が1位になった
なんであんな事があったんだろうか
って思ってさ、しみじみ考えた
何だったんだろう、あれ
達:それじゃダメですよ
答え言わなきゃ、それ待ってんだからこっち
詠:待ってんの?
達:いま待ってたんだもの
分かったよ俺はっつって
何だったんだろう
達:珍しい
詠:珍しいでしょ
ビートルズとサッチモだったらビートルズが新しいわけ
サッチモは古い曲としてリヴァイヴァルした
いま思うとさ
1000年二千年おれは生きないけど
Hello, Dolly!の方がビートルズより残るんじゃ
ないっていう気がしてきた
うん
ひょっとすると
達:難しい
ピンクレディーよりもレッツオンドアゲンの方が
後の時代に残ったと言えるし
詠:あのころ夢にも思わなかったけど
サッチモの方が残ったりするのかな
何であんな凄い時期に突然
62だからね、当時
それこそ浜崎あゆみとかがポンポンと連続1位とってる
時に
62でしょう
加山雄三さんとか小林旭さんが
ドンと1位にだよ
達:不思議ですね
詠:不思議でしょ



トニーベネットがレディーガガとデュエットしたのは
88歳(2014)か。
63〜64年のポップチャート1位の推移です。
ディーンマーティンも獲ってます
テルスター、ドミニク、スキヤキ、なるほど
抱きしめたいの前がボビーヴィントンのブルーファイヤー
There! I've Said It Again

二村定一 私の青空(My blue heaven) → 君恋し
リハビリセッション 私の天竺 → 幸せな結末
幸せな結末 = 君恋し
という関連性をわたしは以前発表しました。

ブルーファイアー → 抱きしめたい
リハビリセッション ナイアガラ慕情 →
抱きしめたいのカラオケ録音(64)

2020今春発表した「ナイアガラ慕情」は「私の天竺」と同じ
1997年夏のレコーディングです。
この関連性、どうよ。

達:大瀧さん、新春放談こられると野球と相撲の事を
聞いてください
っていうハガキけっこうあるんですよ
詠:今年は来ないでしょ
達:来てますよ
詠:見てないな
達:身もふたもない
詠:常に関連性で語ってたのよ
長嶋が復帰したというのはどういう事なのか
メジャーがこういうふうに見られるようになったのは
どういう事なのか
日米文化の中の比較論で
それ自体には、極論したら何の興味も無い
達:だって、ちっちゃい時は野球と相撲と漫画だって
詠:中学2年前までだよ
関連性の問題なんだよ、それ自体には
だって新聞記者にもなってないしさ
そんなこと言い始めたらバスの車掌さんって言ってた
時期もあるんだから
達:僕だって名探偵って言ってた
詠:名探偵がイイね
探偵じゃないのね、名がつくとこが山下くんだと思う
子供に「なんになるの」「うんッメイタンテイ」てのが良いよな
達:ほんとにここ2、3年、、昔の福生のね、、
あのしょーもない、
夜中の口調とまったく変わらない

笑いがこらえられない。名探偵がぶり返して

達:まだ新春放談はじめた頃はいちおう脈略とか組み立て
とか考えてやってましたけど
詠:だんだん、まあ20年も続けるとねえ
こんなもんじゃなかったけどこんなもんでしたよ
福生の深夜は、延々

達:相撲は特に怪我の多さ
優勝して翌場所でボロボロってすごい多い
昔はそんなに怪我って無かったでしょう
何でなんですか
詠:僕の推測なんだけれど
琴錦現象なんだ
達:琴錦?
チっ、、、そこまで戻るんですか
詠:横綱になれる人が順調に来て
1回優勝して来場所優勝すると横綱になれる、という
決まりを作ってしまったので
あれが足かせになった
で、横綱になるとプレッシャーの方が強くなるという
時代になってしまった
なので横綱になれそうな人が1回優勝すると
次の場所はわざと勝たない
達:万年大関現象
詠:副編集長とか副社長の方が楽
達:なるほど、それは深い
詠:それをやめさせるには2場所連続優勝とか
いう馬鹿な事は言わないで
達:昔は
詠:横綱審議会がこの人は相応しいという
独自の規範を持って
何勝なんとかかんとか数字ではなく、認めて心技体として
横綱に相応しいという人を横綱にすれば
勝たなくたって何したって
何でも数字で数字でというのがすべからく失敗してる
達:レコードは売り上げ売り上げ
詠:チャートだ、数字だ、バカらしい
馬鹿らしいんだけど出るとそこに入れられてしまうわけ
入れられないためには出さなきゃいいんだよ
こんな簡単な事はない
達:だからみんな大瀧詠一になりたいって言うんです

ま:でも大瀧さん、本当に2003年はたくさんお世話になって
ありがとうございました
詠:とんでもございません
ま:ひょんなことからデュエットさせてもらって
ありがとうございました
詠:こちらこそ呼んでいただきまして
こんな幸運もあるかと
ま:まあでも、これも起こるべくして起こった
20年ぐらい前の大瀧さんの番組で
いつかデュエットしましょうねなんてカラ約束してました
テープ聞かせてもらったら言ってた
詠:スピーチバルーンでね
ま:杉さんと一緒に
達:そうかトライアングル2の頃ですね
ま: 20年後に叶うことになってたんでしょうね
ちょっと緊張した、大瀧さんと並んで
一緒に並んで歌うの、僕は初めてだって
詠:初めて、女の人と生で
ま:だいたい日が違って別々で録った
達:良かったじゃないですか
ま:ぜんぜん緊張なさらないのね
詠:んなことないですよ
ま: 5年ぶり歌うっておっしゃって
余裕でしたね
詠:何をおっしゃいますか
達:まさか2003年にSomething Stupid やる事になるとは
夢にも思わなかった
ま:いつか娘さんとデュエットしたいと取っておいたって
達:その話は初めて聞いた
詠:取っておきましたよ
今まで一回もやった事ないですからね
達:女性とデュオってシリアさん以来でしょ
その間に誰かいます
詠:いないかも、あ、太田裕美
シベリア鉄道、ライヴでコールアンドレスポンス



詠:けっこうデュエットは歴史がある、みたい
達:昔シリアさんとやった時、二人で並んでやったのか
と思ったら別録りだったって
詠:むこうが緊張するからね
ま:緊張したー私も
楽しかったですけどね
歌って楽しいって思いました
詠:歌は楽しい
我々は歌派だからね
歌派だから
♪Something Stupid

詠:本当にあれは深いアルバムだったよ
ま:ありがとうございます
達:お褒めをいただいて
ま:難しかったけど楽しかった
でも二度と作ることはないでしょうと

詠:山下くんは今年は出ないの
言わないの、言うとまた
達:いま作ってます
ま:けっこう良い曲あった
この間デモ聴かせてもらったけど
詠:やった
ま:ワルツかなんか書いちゃって
達:だんだん自分が歌えない曲を
バートバカラックのワルツみたいなのあるんです
詠:あら
レスリードの方じゃなくてバカラックなのね
達:だんだんキャラに合わなくなる
詠:バカラックはあるでしょ、元々ね
何年ぶりですか
達: 5年ぶりです
詠:ブリだよ
達:毎年なんだかんだアカペラ出したりいろいろやってんです
けどね
ま:勤勉にやってますね
達:それでも出すと5年ぶりのオリジナルアルバムと
言われるんです
大瀧さんはイーチタイムがレイティスト
ま:レイティスト
詠:レイティストアンドラストじゃないかって
オリジナルアルバムって意味あいでは
意欲がないもの
ま:意欲がない、、ああそう、、、
達:良かったんだけどなあ、あの、私の天竺
詠:ああ、あれ入れればいいんじゃない
もう1曲できてんじゃん
そういう計算で言うといっぱいあるよ
そういう意味で言えばとっくに出来てるよ
何曲も、じつを言うと
ま:オリジナルアルバムを作りましょって名目を出すから
意欲が湧かないんですよ、きっと
詠:トライアングルはいいよ
2人いるし、陰に隠れて
この2人だったらコミックソングも作れるし
ま:いろんなコンビネーションがあるっていうのが
楽しめますよね
詠:俺は楽だよ、2人がいてくれれば
毎年だしてもいい
達: 2人とも楽だ
詠:バンドの良さだね
ま: 500マイルを3人で歌いたい
詠:俺がエルヴィススタイルで、イタリアンスタイル、
ポップススタイルで
ま: PPMちょっとやりましょうよ、ギャグで
詠:得意ヴァージョンで変えるのがいいんじゃないですか
達:またニューオーリンズやります
ま:そういう事だったらいっぱい考えられるんですね
詠:いっくらでももう、任しといてください、考えるだけなら
ま:言ったら期待されちゃうからな
詠:またな
達:だからさせないように秘密裏に行かないと
詠:そうそう
出たら復活、出なきゃ休業
達:出なけりゃ引退か
詠:という事でひとつよろしくお願いします
達:ま:今年もよろしくお願いします
♪木の葉のスケッチ



という大瀧さん最後のヴォーカル・レコーディングは
55歳
今のわたしと同じ。

我田引水ですが
わたしの現在ムチューの大衆娯楽東京映画の大河レヴュー

大瀧さんの生まれた1948年から
わたしの生まれた1964年まで
絶賛連載中です。








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