新春放談クロニクル番外編



  




大瀧詠一的 2012 後篇


平:アメリカンポップス伝を今年、、
詠:ずーっと毎日そればっかり考えていますね
どう持って行ったらいいのか
平: 3月が今度パート3ですね
3はほぼ出来てると
詠:あのね
1はエルヴィスがあんなに長くなるとは思わなかった
やってるうちに長くなっちゃった
2は出だしのジョニーホートン
Honky Tonk Man
それだけなの、出来てたの
あとは全部イモズルなの
決めてたのはそこだけで導入部
後はどうなって行くか全く分かんなかった
ただパート、パートでは15分ぐらいのは出来てんですよ
アルカイオラのギターがどうだとか
ボビーダーリンがこうだとか
エヴァリーがなんだとかっていうのは
パート、パートであるんだけど
どういう順番になって行くかは
決めてないんですよ
石:大瀧さん、最後にパットブーンを持って来てるじゃないですか
でも最初にパットブーンも紹介してるのに
取っておいた、って
詠:取っておきました
石:これがやっぱり構成作家
詠:最後の方が衝撃度が高いから
石:ホラ
ちゃんとシナリオライターなんです
平:チラ見させといて
詠:猿の惑星のエンディング

平:そうすると
アメリカンポップス伝3に行くんだ
まだイギリスに行かないんだ
内:パート4も
パート5から
詠:まだ確定じゃないんだよね
内:イギリスって64年に何があったんですか
詠:ビートルズのアメリカデビュー
内:ビートルズ自身は62年
詠:62年の暮れが Love Me Do なんだけれども
トップ3に入ったのは63年に
Please please Me
From Me To You
She Love s You というような
立て続けに大ヒットを出した
ところがアメリカでも出したんだけど
流行らなかった
出てるんです。2枚ぐらい
内:アメリカでは64年なんですか
詠: 63年の12月最終週
64年の1月にバーンと出て
これはもう世界的に、日本でも
僕が「抱きしめたい」買いに行ったのは
64年の1月
石:ビートルズを最初に聴いたのを憶えてない?俺、歯医者でさ
平:我々は、最初Love Me Do
内:Please please Me ?
詠:いや抱きしめたい I Want To Hold Your Hand ですよ
日本のシングルは
Love Me Doはイギリスでです
今、ビートルズ何十周年とか言って
みんな自国のイギリスの正史というか、そうなってるけども
日本人が受け取ったのはまた違うんです
日本でのみカットされたシングル盤もあるし
日本でだけウケたのもあるし
アメリカとイギリスと日本とで
ビートルズは各々違うんですね
内:でもアメリカと日本はほぼ同時期
詠:同時期
内:流行った曲も違うんですか
詠:物によって
途中から同じになるんだけど
出だしはけっこう
内:出だしは日本は抱きしめたい
詠:抱きしめたいです
僕は抱きしめたいを買いに行きました
石:ラジオで繰り返し同じ曲をかけた
っていうのが最初だった
同じ曲を何回もかけるってないでしょ
やってたんですよ
詠:日本でやってました?
アメリカで1時間、抱きしめたいだけかけたっていうのが売り文句になった
東芝の番組だね
石:キャンディーベストヒット
詠:キャンディーはヒットパレード物だから
何度もかけたりはしないと思う
石:自分もそのレコードしかなかったんで
A面B面しか聴けなかったわけですよ
詠:みんなThis Boy を繰り返し聴いた
平:抱きしめたいのB面がThis Boy か
石:「こいつ」を聴くしかない
詠:何度も言うけど
リアルタイマーかどうかを見分ける方法がB面なのよ
B面の話ができるかどうかが
リアルタイマー


こいつ たしかに330円。

平: Twist and shout のB面は?
石: Roll Over Beethoven
平:ああそうだ
石:俺はあれが最初のレコードだから
平:君はあのレコード買った時うちに来たんだよ、まず
うちの電蓄でかけた
内:それ64年?
石: 必ず64年ですよ
詠:日本人はみんな64年ですよ
内:ということはオリンピックの年?
内: アルバムのMeet The Beatles は?
詠:64年
内:それを買ったんだ
詠:日本盤の編集はイギリスともアメリカとも違う
Please Mr.Postman が入ってるってのがまた日本盤のミソ
平: 64年というのは日本にとって
ものすごく大きな年なんだね
内:いろんな事があったんだね
詠: ゴールデンイヤーなんですよ
石: Say You のロニードーブも
平: ロニーダブだった
ショーンコネリーは
内:シーンコナリー
詠:何がレーガンだ
ロナルドリーガン
石:平川がさ、Please please Meを
持ってんだけど
リンゴの写真のところにジョージハリスンって書いた
消してあるけど、後から
内:誰かサインを偽造したって
それ大瀧さんだったっけ
詠:ピーターバラカンが見て
え、サインもらったの?!
俺のジャケット見て、本国の人が
サインもらったんだって
だから日本人は64年なんですよ
Meet The Beatlesの日本編集の曲目で
語るべき
日本人のビートルズは
今はみんなイギリスの歴史にそのまま乗っかって
いかにも全世界がああであったかのような、あれになってるので
それはブリティッシュポップス伝で
正すことにしてる

内: Please Mr.Postman が入ってるのが
詠:入ってないんだよ
イギリスは
またイギリスでバラバラで
イギリスがバラバラって言い方も凄いけど
なんだよ、このイギリス盤は
向こうがあれなのにね
あの、春よ来いと風をあつめてが入ったようなのを先に聴いた人が
「なんだよ、ゆでめん」はと文句を言うような感じ
こっちはそっちを最初に見てるからさ
石:でもMeet The Beatlesは、内田君は持ってたけど、
買えなかったんです、1500円
詠:アルバムは高かったからね
内:うちは兄弟だから、二人で買う、半分こして
石: 330円を集めるのにどれだけ苦労したか
63年の終わりぐらいから65年の初めぐらいまで
前は300円だったんです
330円になって350円、370円になって
これが正に330円/64年というのが
自分のキーワードで
詠: 1ドル360円
石:だからこれはこの時期に良い曲が重なってた
そういう証拠
平:僕もレコード買ってたのがあの時だけだもんね
石:平川君が凄かったんです
この人の方がなんか出るとすぐ
平:ガーッと買ってたよ
石:多分お金があったんです
詠:平川さんはビートルズ前のポップスが詳しいよね
平:いや、後追いです
石:同じ時期にイギリス勢でビートルズも
クリフリチャードも
平:あの頃、ヒットパレードの
僕がノートに付けてた時は
1位がシルビーバルタンのアイドルを探せ
それから、ちょっと前は
映画の、ジェームスディーンの、あの…
詠:エデンの東
平:、、が1ヶ月連続トップとか
映画音楽をアイドルを探せが抜いて
それをビートルズがまた抜いて行く
内:ビートルズはシルビーバルタンを抜いてトップになったの
石:シルビーバルタンとビートルズが争ってた
内:シルビーバルタンとビートルズが争ってたのか
石:良い時代なわけ
内:不思議な時代だね
詠:そうなんですよ
イタリアとフランス
その前のエルヴィスなり50年代のポピュラー
ハナ肇さんはポプラーと言った
ポピュラー音楽の映画音楽のヨーロッパ物が
ヒット曲が多かった
それはアメリカ映画なんかじゃなくて
小さ会社が多かった
小さ会社が輸入するので、その人たちは
なんとかヒット曲で集客しようというアイディアから
なぜか鉄道員とかイタリア映画
東宝東和とか独立会社が、洋画をいっぱいやってる時に
太陽はひとりぼっちとか
ヒット曲を出す事によって映画の客を増やそう
メジャーと対抗するにはそれしかないっていう作戦
だからブーべの恋人だとか
内:あんなのって世界的にヒットしたわけじゃなくて
詠:ないよ
内:日本だけで
詠:のみ。本国ではヒットしてるとは思うけど
アメリカ、イギリスでヒットしたって例は聞かない
平:アモーレアモーレアモーレも
詠:あれもアメリカでは流行ってないと思う
ヨーロッパと日本
カテリーナバレンテなんて山のように日本で流行ったけど
アメリカのチャートなんか出てないよ
石:カテリーナバレンテは最近すごい注目してる
内:最近注目してるって
平:そうか、日本だけって人って結構いるんですか
ジョニーティロットソンは
詠:いやアメリカも
石:あれは時期によるんで
詠:ポエトリーはもっと前、アメリカではね
アメリカは60年
だけど日本では64年にヒットした。4年後の
平:九ちゃんが歌ったからね
ジョニーティロットソンの歌を
涙くんさよなら
石:それはもっと後
詠:九ちゃんが歌ったんじゃなくて
日本語のハマクラさんのを
ジョニーティロットソンに歌わせたの
映画にもなってるしね
石:そういう日本製の物と
イタリア製の物と
アメリカ製の物がわりと均等に
非常にバランスが
詠:そうそうそう
アメリカチャート、イギリスチャート
そのままっていう時代じゃなかった
独自性があったと思える
内:ジャパニーズチャートの歴史だけの
何でこんなアメリカと違うのか
詠:あとアメリカでヒットしてない大ヒット曲ってのを
僕よくやったんです
コニーフランシスのPretty little baby
内:え、あれヒットしてないんですか
詠:ぜんぜん、B面
石:ロイオービソンのCome back to meだって
詠:いとしのラナとか
石:あれ亀渕さんですか?それを仕掛けたの
詠:ううんとね、まあ大勢の人
大勢の人が良い曲だから、せーのっで
Come back to meをシングル切って
日本でだけ
アメリカはシングルも切ってない
平:ベルベッツじたいはどうだった
詠:ラフって曲が下の方に出たんだけど
そのB面がラナ
それひっくり返して、日本で
っていうケースがずいぶんあって
それが独自性
ロイオービソンが作ってアルバムで歌ってて
ベルベッツに歌わせたんだけどB面だった
石:そういうA面B面ひっくり返しすのは沢山あって
日本だけのヒットのなかに
向こうでは全くヒットしてないB面のやつを
内:日本人が好きなメロディラインがあるんですか
詠:あるんです
上田敏の海潮音みたいに、向こうでは誰も知らなかった
石:カンツォーネなんて逆に日本製のほうが有名だったり
カテリーナバレンテにしても
内:バラカンさんがなんか聴いて、これ誰だっけって言った
詠:星はなんでも知っている
これオリジナル誰だっけ
日本人が作って日本人が歌ったのを
内:オリジナルがイギリスかなんかだと
詠:そう思ってもいいんじゃないの
カウライジャに似てるし
平:あの64年ごろというのは、
アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本が
ポップスの中で一緒になって
石:一緒っていうか
日本にいるとそれが均等に聴けた
平:フレンチポップスとカンツォーネがそこに入っていた
っていうのはさ
内:カンツォーネが多かったですね
詠:フレンチポップスって名称はないから
60年代前は
内: シルビーバルタンはシャンソンって
詠:いやシルビーバルタンはさすがにシャンソンとは
言ってなかったけど
石:フランス新人歌手
詠:フレンチポップスはダニエルビダルとか
70年代になってからだよね
そんな小洒落た名前になったのは
ジョニーアリデーとか
石:マジョリーノエルは向こうで有名だったんですか
詠:向こうでヒットしてないんじゃないの
石:平川は自慢がさ、ほら言ってごらん
平:ジョニーアリデーと酒飲んだ事
どうだ
ちょうど取材で良い一流の三つ星レストランで…
石:それもう十年言ってるよね
ジョニーアリデーと酒飲んだ
内:ジョニーアリデーと酒飲んだ
詠:アリデーもハリデーだったよ
後になって言われて
最初はハリデー、ハリデー

文責、わたしの生年は64年です。
オリンピックがあって、新幹線が出来て、
ゴールデンイヤーだった、と小学校の社会科で、すでに印象づけ
られていました。
ちょうど還暦の60年。この座談会や、このところの日本映画鑑賞で、
新たにいくつかの「64年の初めて」を発見しています。
一つはビートルズの襲来。
もう一つは「海外渡航自由化」です。
植民地時代、占領下の日本人が、海外旅行の自由を与えられた
開国でもあったんです。

石:この間アゲインに木崎さんがいらっしゃいました
資料のない中でライナーを書く時代
嘘じゃないんだけど、やっぱり膨らまさなくちゃいけない
今みたいに情報がたくさんある時に書くより
ああいう時に細かく書くほうがクオリティが
内:高校で聖歌隊に入っていたとかくっつけちゃう
平:木崎さんて木崎義二さん
詠:ティーンビートの
でもね、その方がストーリーが面白いんだよ
情報がない方が絶対に良いの
でね
エルヴィスの時に語ろうと思って時間がなくて
カットしたんだけど
あの人はすぐに歌おぼえる
いるよ。勘の良い子
2、3回聴いてサッと覚える
エルヴィスはすぐに覚えるんだけど
全部うる覚えなの
これが良いわけ
一言一句全部踏襲できるっていうのは
やっぱり小さくなるんだね
平:ということは、アドリブで歌っちゃうって事ですか
詠:次回やるかどうかあれなんだけど
Brown eyed handsome man
チャックベリーの曲をみんなで歌ってて
ツーアウト2、3塁でバッターがホームランという
ストーリーなんだけど
エルヴィスは最初ツーアウト1、2塁とか
ワンナウト1、2塁とかを歌うわけ
そうすると、周りから
「ツーアウト2、3塁だよっ」って言われて
「あ、そうか!」ってやる
まあツーアウト2、3塁もワンナウト1、2塁ったって
大差ないじゃない
スリーランホームランなんだからさ
スリーランホームランなんだよ、ポイントは
なんだけど、今の人は
ツーアウト2、3塁なのか
ワンナウト1、2塁なのかって
いう所で攻めてくる
それは馬鹿げてるんだ
スリーランホームランなんだよ、大事なのは
だから、エルヴィスを産むには
スリーランホームランの方にポイントを置いて
1、2塁だろうが2、3塁だろうがかまやしない
っていうのじゃないとエルヴィスは出て来ない
石:平川は
平:僕はそもそも
ワンナウト何塁なのかも、分かんなくなっちゃった
野球なのかどうなのかも、場合によっては
詠:それ良い、え?これって野球の話だったのか?

大瀧さんは、人の行ないや、出来ごとの本質を突きつめる時の、
例えが野球の話になる事が多いです。
萩原健太氏も
「松井秀喜のホームランと江戸文化をつないだあの感触。あのスリル」
を回想していました。

石:藤原義江も歌詞は全然
間違って歌っちゃったやつが世に出て
作詞家は満足してないんだけど変えたとか
レコーディングの時にちゃんと歌う人と
詠:そういえば
はっぴいえんどのかくれんぼ
曇った空の?
違ってたらしいね
曇った、なんとかだったのかな
僕は「空の」って歌っちゃったんだけど
原詞は違ってたらしいね
松本先生の
やっぱり僕もエルヴィス…
とにかく、うる覚えの効用だよ
うる覚えで、何かを語って
その人がストーリーを作ったら
最後まで聞いてあげることだな
どうなって行くか分かんないんだからさ
それ水かけちゃだめだよ
っていう気が最近する

平:エルヴィスは師匠はほとんどリアルタイム
詠:ぜんぜん
平:じゃないんですか
詠:ちーとも
まあ、中期、中期でもないか
全然リアルタイムでない
62年から
あの人、デビュー54年だから
生まれてはいたけれど
興味は、さすがに
内:流れてはいたんですか、FENで
日本国内で
詠:サンレコードの頃はどうなんだろう
やっぱりHeartbreak Hotelからじゃないのかな
よほどカントリーの好きな人とか
だってサンレコードの場合は
カントリーチャートに何曲かしか入ってないから
ヒットしてないから
ナショナルチャートに入ってないので
知らない人が多かったと思う
おそらくジョンもポールも
Heartbreak Hotelって言ってるから
56からだと思う
石: 62年ぐらいから、なんか聴くきっかけってあったんですか
詠:Hound dogの再初
ブルーハワイ・ブーム
とにかく62年にブルーハワイが大ヒットした、日本で
その時、その人気にあやかって
Hound dog、Don't be Cruelの
シングル盤を再発した
それがチャートに入った

03年にそこに気づいたようです。
「新春放談04」
http://dec302013.x0.com/CHRONICLE045.html

これも「女はそれを我慢できない」をリバプールで半年後に観たのと同じで、
「ブルーハワイ」がやはり日本で半年後に公開されて、
64年にかけてハワイ映画が量産されました。
そしてハワイを舞台にSinger songwighterの先駆者が一人
頭角を現すのです。

平:僕らはラスベガス万歳。リアルタイムでは
石:我々はビバラスベガス世代なんです
詠:ビバラスベガスから入ったのはちょっとお気の毒
石:いまだに聴いても大瀧さんのようなインパクトは無い
平:ポップス伝を聞いて
後にも先にもエルヴィスってみたいなのがやっぱり分かるよね
詠:個人的趣味で言ってるんじゃないんですよ
本当に彼のヒット曲はビートルズと同じように
常に1位があるし、何曲も1位があるし
平:そこで変わりますもんね
詠:みんなね
だから第二のエルヴィス
3人でやってるでしょ
Heartbreak Hotelからは4人になってるけど
なんだ4人で商売できんのかってなったわけですよ
みんなあのようなバンドを探したわけ
4人で行けるんだもん
その前はグレンミラーにしろベニーグッドマンにしろ
R&Bは別にしても
大勢いなきゃあれなのに
ちょっと若いニイちゃんで、良いルックスで
グッと腰振ったらもういけるからって
各地の連中が第二のエルヴィスを探す
56年7年はみんな

石:でも、そのエルヴィスの三部門制覇の1位、1位、1位
が5曲あるってのもすごいけど
もう2曲ある、2曲が同じ人だったってのがびっくりした
エヴァリー
平:同じ人ってのは?
石:三部門ね
カントリーチャート、R&Bチャート、ポップスチャートの
1位、5位、7位でも三部門制覇なんですね
でも1位、1位、1位っていうのは7曲しかない
内:歴史上7曲しかない
石: 5曲がエルヴィスっていうのはこれももちろんすごいけど
違う2曲が同じ人
内:残りの2曲がエヴァリーブラザーズ
詠:エルヴィスがいなかったからね
入隊して
石:エヴァリーは確かにサウンドが
R&Bでもカントリーでもポップスでも通じるのが
ちょっとびっくり、自分は再発見というか
どこに入れてもいいような
内:何が入ったの
石: All I have to do is dream
Wake up little Susie
詠:ただあの頃はキャッシュボックスとビルボードがあるから
必ずしも1位がそんなに厳密には
石:未だかつてそれがないわけ
内:それから後がない
石:以降も以前も
詠:だって、カントリーに入らないから
内:プレスリー、最後なんですか
平:全盛の時に兵役に取られる
詠:まったく。だって2年だもん、大全盛
平:モハメドアリも
行かなくてベルト剥奪されて
その時にポッと
ちょっと上につっかえていた時にパッと出る
平:エルヴィスがいない時にパッと出たように
ボクサーの方もフレジャーか
詠:空白ができる時に何かが出て来る
内:それがエヴァリー
全体的にポップス側がグッと出て来るんですよ
だんだんR&Rが退潮して、入れ替えが

松田聖子が育児休業中におニャン子が出るとか

詠:エルヴィス自体はレコード出してるんだけれも
TVには出てこないし、コンサートはやらないでしょ
だって兵隊に入ってるから
内:レコード出してるんですか
前のやつがですか
詠:山のように録り溜めしてるわけ
録り溜めしたのを切り売りしてった
内: TVでもチャートインしてない
詠:してる、してる
エルヴィスだけ大ヒットしてる
本人がいなくてもヒット曲を作れる
という手法を64年、65年、66年にやったんです
映画に出つつ、映画のどうでもいい曲じゃなくて
むかし録ってた讃美歌Cring in the chapel を2位に入れる
あの時点からその以前のレコーディングをトップ3に入れる
本人不在でもヒット曲は作れるっていう事を
パーカーはあそこでもう味しめた
石:パーカーじゃなくて大瀧さんも学んだんですか
本人不在でこれだけ影響のある人いないでしょう
平:本人不在でヒット曲も無くて、影響力だけある
詠:影響力は怪しいけど
ヒット曲も無くて、っていう点ではエルヴィス超えてるね
ヒット曲も無くてっていう時点では
無い方のほうから考えてエルヴィスを超えてる
影響力は怪しいけどね

石:エヴァリーも4エバリーと言われて
ビートルズが影響を受けたってのは
頭では分かってても
何であんなに影響あるのか今回のポップス伝でエヴァリーが凄いなって
平:エヴァリーは日本ではそんなに
詠:だめでした、なに出しても
石:ビートルズが出て来てからなんですよ
内:当時リアルタイムでラジオから流れてたと思うけどな、結構
曲を覚えてた
詠:でも58年だからAll I have to do is dream は
とっくに 64年ぐらいは旬を過ぎてる感じだった
Bye bye love はボーディドリーのGチューニングなんですよ
EとEをDにする
オープンチューニング
平手でまっすぐ押しただけでもコードになる
普通のギターはただベタっと押してもコードにならないんだけど
弦を下げてチューニングすると
こうやるだけでいいんです
スリーコードだから、3個
これでCFGでR&Rが出来ちゃうんだよね
これをボーディドリーは開発して
あの人のライブとか見ると、一本指なのよ
平:じゃギターが上手くなくてもいいんだ
詠:うーーん
何とも返事のしようが
むしろ、逆っていう気が
平:あの中でバディーホリーの事をおっしゃってた
スリーコードの天才
詠:驚いた事にポールマッカートニーも
同じ事言ってた
スリーコードだと
ユエンナシバラハウンドッグとか
イキな看守のはからいでとか
ああいう殺伐としたメロディーになるでしょ
バディーホリーはスリーコードでメロディックな物を作る天才なんです
めったにあちこちのコード入れないんだけど
僕は本当にA面で恋をしては影響されたんですよ
3つのコードでメロディックにするって
これは本当に難しいんです
そうそう出来ないんです
エヴァリーはカントリーなのに
ボーディドリーのGチューニングをナッシュビルでやるなんて
考えられないんです
R&BのR&Rの人の
そこが融合と言ってしまえば簡単な言葉になっちゃうんだけど
それが幅広いあれを受けた
内:ってことは4エバリー
ってことは、ビートルズにもカントリーフレーバーって入ってるんですか
詠:モロでしょ
内:モロですか
詠:ビートルズなんかカントリーにしか聞こえないよ
内:えー
詠:僕は特にFor saleが好きなんだけど
For saleはもうビートルズ、カントリーに行く
ビートルズ、カントリーを歌う
って言っていいんじゃないか
内:でも、イギリスの人ってカントリーって聴いてたんですかね
詠:聴いてましたよ、もちろん
カントリーとかブルースを聴かずにR&Rはできないんだもん
だんだん歴史の古い方へ行くと
境目があんまり無い
これがカントリーでございとか
これがブルースでござい、とかは後になってからだから
リンゴスターなんかもう大のカントリーマニア
内:カバーしてますね
詠:バックオーエンスのAct Naturally
リンゴが大ヒットさせた
喜んじゃってバックオーエンス
印税どっかり入って来て
内:リンゴが好きなんですね
詠:リンゴは大好きなの
YesterdayのB面だからね
YesterdayとAct Naturally
なんだろ、あの食い合わせ
石: A面がAct Naturallyで
B面がYesterdayだったんです
内:ホント、A B逆だったんですか
どこで
石:日本で
詠:ウソー
石:本当ですよ、それ持ってますから
詠:いやーそんな事ないと思う
平:それ持ってんの、証拠の品を
石:出してみようか
詠:ようするに上にアクトナチュラリー
下にイエスタデイって書いてあったのを
A Bと勘違いした
内:五十音順で、あ、い、だからさ
平:どうよ
石: 3人で責められると
平:それパチモンなんじゃないか
詠:お!
石: 出た…
詠:平川さんはどっかで逆襲しようと
5年間この日を待っていた
出たよ、このストーリー
ついに逆襲されましたね



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/イエスタデイ_(ビートルズの曲)#リリース

平:僕は素人だから、この中では
あのころ聴いてたのは
石:そんなことない、君すごいよ
平:ゾンビーズとかさ、キンクスとかさ、
タバコロードは、、、ナッシュビルティーンズ
石:すごいじゃん
平:ビリージェイクレーマーとダコタス
ジェイフランクウィルソンとキャバリエズ
詠:内:石:それイギリスじゃない
石:言ャいいってもんじゃない
詠:Tobacco Roadはカントリーの曲
内:イギリスのバンドがカントリーをカバーした
平:だから、イギリスのポップス伝も面白いでしょうね
詠:皆さんは知ってる曲が多い
多くなるから聞きやすい
この世代的に
内:リバプールはいっぱい聴いてる
詠: 63年から64年になるから
内:中二病、僕ら中2ですよ
詠:今だって55年56年
僕だってリアルタイムじゃないわけだから
ましてやそれより若い方は
まあ、リアルタイムだからみんな知ってるわけじゃないし
だから、パットブーンなんかはみんな初めて聞いたって言ってました
朝妻さんが、いや知らなかったって
55年にパットブーンはR&Rで売り出して、売れたんです
だって1位になったんだ
内:日本に来たのはI’ll Be home
詠: B面で出たやつ
トゥッティフルッティが
石: DJが勘違いして
詠:違う違う
トゥッティフルッティがあんまり当たらなかったんで
55年はとにかくR&Bをカバーしたら
何でもヒットする時代
だからシナトラもR&Bをやった
猫も杓子もR&BだR&Bだ
それでパットブーンも本来
マネージャーは今はだめだ
R&Bやりゃ売れるんだから
歌えっていうんで
前夜、ホテルで何度も聴いて必死に覚えて、一所懸命歌ってるわけです
それでもヒットした
Ain't That a Shameというファッツドミノの曲を1位にした
プロモーションでラジオ局に行ったら
なんだお前なにしに来た
Ain't That a Shameの歌手です
まさか、そんな事ねえだろ
お前白人じゃねえか
って言われた
エルヴィスもそう思われた
Two Heartsが出て、Ain't That a Shameが出て
56年の正月にトゥッティフルッティ
また、これも大ヒットするだろうと
出したわけ
エルヴィスと重なっちゃった
Heartbreak Hotelがバンバン行って
トゥッティフルッティが振るわなかった
振るわなかったんでDJがひっくり返して聴いてみたら
ああ良い曲じゃねえかって
それがI’ll Be home
I’ll Be homeが流行ったんだけど
次、Long Tall Sallyか
マネージャーはまだR&Bをやってるわけ
それで映画に呼ばれてディミトリーティオムキンの曲で
コンペやって受かってハリウッドに行く
内:なんていう映画ですか
詠:えーーと、ど忘れ

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Friendly_Persuasion_(song)

それで正統なクルーナーの方に行く
翌年か、Love letter in the sand
それと、面白いのは
パットブーンのAin't That a Shame
バックがシカゴの黒人プレイヤー
コーラスも、パットブーンだけなの、白人は
エルヴィスはAnyway you want meとか、
I was the oneとかは全員白人

平:その時にニールセダカは、いないの
詠:いるけど、ちーとも
平:ポールアンカも
詠:ちーとも、下積み
平:年齢的には被るぐらい
詠:ちょっと下かな、若い
だってアンカは14で
エルヴィスは22だった
あそこに出て来るまでのところがスリリングなのよ
石:エルヴィスの登場によって、
パットブーンを本来のクルーナーに戻した
詠:みんな知らなかった
石:そこが初めて
エルヴィスがいなかったら、
パットブーンはR&B歌手になってて
クルーナーのパットブーンは有名じゃなかったかも
詠:売れてたら3年はやるよね
元々ヒットする前は普通の歌を歌っていた
それだけ、ああいう人にもR&Bを歌わせたらヒットするという
だから、我々は後で聴いてるわけ
なんだよパットブーンのこの気の抜けたR&Rなんか
黙ってクルーナーで歌ってりゃいいのに
何してんだよ、このオッサンって
最初聴いた
後もう一つはビルヘイリー
こっちはプレスリー聴いてるから、生ぬるいんだよな
なんでこんなもんがR&Rなんだよ
第一夜で分かったと思うけど、
1位を順番に聴いて来ると、突然なんだよな
石:あと演奏シーン見たら凄かったですね
ベースに乗ったり
内:それをクレージーキャッツが真似して
詠:クレージーマンクレージーっていう歌だった
石:あとはボビーダーリンはちょっと驚きました
なんかジャズシンガーみたいなイメージだった
詠:まあ歌が上手いから
コニーフランシスと結婚寸前までいった
親父に散弾銃で脅されて
時間があれだったんでカットした
ドンカーシュナーとボビーダーリンと曲を作ってて
コニーフランシスに書いたりしてたけど
ドンカーシュナーは書けなくなったら
出版社をやるんです
アルネビンズとドンカーシュナーでアルドンという出版社に
ニールセダカが入って来て
キャロルキングが入って来て
バリーマンが入って来て
アルドン出版社が良い作家をみんな集めて
コニーフランシスのWhere are the boys areはセダカ
あの人たちの曲をじゃんじゃん歌わせる
だから、ボビーダーリンと結婚してれば
ボビーダーリンの曲を歌ってた
石:それパート3ですよね
詠:うん
、、、実はね
平:いや、、そうか、話が…
詠:めしの時間だ、めし食いに行こう
平:いやあ、今日は5回目にして
音楽ファンは絶対に聞き逃せない番組になったのではないでしょうか
政治経済の話は一切ありませんでした
石:珍しかったね
詠:前立腺の話が面白かった
平:この前座であったんですが
前立腺線異常無し、ということで
詠:うまい
オチが決まったところでまた
平:えーありがとうございました
詠:お帰りはこちら
内:また来年よろしくお願いします

この「めし」が四人にとって最後の晩餐だったそうです。
「これが最終回のつもりで福生へ招待し、みんなに奢ったんだよ」
翌年「2013」のオファーの際にそう発言された、と伝え聞いています。







ウララカ−インマイルーム